『その民は兄と呼ばれる
聖なる永遠の光から遠ざかるがゆえに
世界をこわしていってしまう者は
弟と呼ばれる
分かつためにそう呼ぶのではない
愛しみをこめて兄は弟に語りかける
切っても切れぬ兄弟なのだ
そして万物の調和を保つことは
兄弟の役割なのだ』
ペキニの街の1万年前のいにしえの書に、そう記された民がいた。
創造と破壊のバランスを保つ責任があると思っている穏やかで謙虚な民である。
『わたしたちには多くの富は要らない。永遠の光を絶やさなければ、豊かに生きてゆくことができるのだから。』
そういって訥々と日々の暮らしをつむいだ素朴な民だという。
目の詰まった丈夫な白い服を来た少女が、聖なる遺跡の斜面を登って行く。
振り向いて透き通った黒潤石のような瞳でひたとこちらを見て笑った。そこで目が覚めた。
(夢か・・。)
兄の民のことを学んで以来、時々夢を見る。
リウはその少女がただの夢の中の少女だとは思えなかった。
家の中は静かだった。母は早くから生業の機織り所に出かけたようだ。
寝床から飛び起きると銀の角ヤギの乳を飲んで、学問所の本をつかんで家を出た。
「リウ!」
駆け寄ってきたのはいとこのイナだった。
「聞いた?今日は朝一番から司祭宮だって。」
「えっ?知らない。そうなんだ。」
「やっぱり。行こう。」
「うん。」
「サリは?サリも知らないんじゃない?」
「きっとそう。行こう!」
サリの家に寄ってみると、案の定サリはいつものように寝坊した上、司祭宮で授業があることは知らなかった。
「イナはいつもちゃんとしてるね。リウと同じ一族とは思えないよ。」
サリがねぼけまなこでそうつぶやくと、リウはカラカラと笑った。
「イナは叔父さん似さ。父さんの妹の、オレの叔母さんはおおざっぱだ。」
「お転婆なリウにそっくりな?」
「ほっとけ!」こぶしを振り上げるとサリはきゃっと笑ってイナの後ろに隠れた。
「ほらほら、遅れるよ!」
笑いながらイナが言って、3人は駆け出した。
街の中央に位置する司祭宮は、遠くからでもすぐ分かる。光に反射すると七色に輝く水輝グラスでできている。
ここ、ペキニの街では9歳以上のある時期になれば司祭の授業がある。
司祭宮奥に祀られている『永遠の光』を守っていくこころを伝えられる。
サリは今年9歳になった。リウは14でイナは16だ。
少し遅れた。階段を登って入り口を入った広間にみんなもう集まっていて、司祭のひとりが話し始めていた。
「‥今日は奥へ案内しよう。こちらへ。」
リウはイナと目を合わせてほっと息をもらした。学問は好きではなかったが、司祭宮での授業は楽しみにしていたのだ。
小さな頃から司祭宮が好きだった。
朝の光にキラキラ光る司祭宮を初めて見た時、この世界にはなんてうつくしいものがあるのかとうっとりしたものだ。
どんなに悪さをしても、リウは司祭宮に連れて行かないと言われればぐうの音も出なくなってしぶしぶそれをやめる。
それでも幾度でも繰り返し悪さをするこのあたりでは札付きの子供だった。
女の子ながら、よく男の子と取っ組み合いのけんかをして怒られて、イナが一緒に謝ってくれたものだ。
イナはおとなしくて落ち着いた男の子だ。小さな頃から人にほめられる、けなげで賢い子だった。
だからイナが必死になってとりなしてくれると、たいがいは大人は許してくれた。
「この『真昼の庭』は人間の明るい面を象徴している。」
司祭はそういって中庭を取り巻く回廊をゆく。さんさんと陽が降りそそぐそこには、色とりどりのうつくしい花が咲き乱れ、中央に司祭宮の地下から湧く噴水が絶える事なくその飛沫をあげていた。
「この扉の向こうは『内なる回廊』だ。ここから人は自分の内面へと向き合っていくことになる。」
大柄な司祭でも少し息を詰めるようにしてその重い金属の扉をギギイッと押し開けた。
明るい庭から一転して中はまるで真っ暗だった。
「すぐに目が慣れる。こっちだ。」
そういうと灯りももたずに、司祭は足取りを緩めることなく奥へ進んで行く。
たしかにだんだんぼうっと白く光る貝殻で出来たような柱が見えてきた。
その柱に支えられた細い空間をしばらく真直ぐいくと突き当たり、左に曲がる。こころなしか下り坂になった。
またしばらく行って突き当たると直角に曲がってさらに下って行く。
もう3度ほど長い暗闇を左に曲がって下ったところに小さな灯火が点っていて、そこにはさらに地下にえんえんと通じるはしごがあった。
15人ほどの生徒は何も言わずにお互い顔を見合わせた。
外から見るおとぎばなしのような司祭宮からは想像もつかない展開だった。参拝は広間まで。祭りの時でも『真昼の庭』どまりで、金属の扉の向こうへは入ったことがなかったのだ。
大人に聞いても、
「いずれ分かる。」としか教えてくれない。
たしかにこの長い暗闇の回廊を黙って歩いていると、いろいろなことを思わずにいられなかった。
ひとりしか降りられないような狭いはしごを一列になって下った。はるか下にやはり灯がともっているのがわかる。
降り切ったところにまた金属の扉があって、司祭はまた全身を預けるようにそれをゆっくりと重々しく押した。
「あっ!」
生徒たちから声があがった。
「まぶしい!!」
地下へ、地下へと下ったのに、まるで真昼のような光に目がくらんだ。
「これが、永遠の光!?」
リウが叫ぶと、司祭は口元に手を当てて声を制した。
そこは入り口の広間くらいひろびろとした空間で、床一面鏡でできていた。
と思ったのも無理はない。
まるで鏡のように澄んだ水がたたえられた池がひろがっていたのだった。
「清めの間だ。まだ奥宮ではない。」
丸天井は高く、白く輝いていた。輝光石でできているのだろうか。
気がつくと、奥の扉から供を連れて現れた風格のある司祭がみんなに近づいてくる。
「タイラオラ・オーネン司祭だ。」
生徒たちはさざめいた。
オーネンといえば、ペキニで唯一姓を名乗ることを許された司祭中の司祭だ。
「直々にお清めいただく。」
生徒たちはひとりづつ永遠の光にまみえるため、オーネンから清めを受けた。
池の水はこの地に昔から湧く聖水で、そのためここに司祭宮は造られた。
リウの番が来た時、オーネンはふと何かに気づいたようにリウの灰色の瞳を覗き込んで、紅い髪に触れ、言った。
「炎を持っておるか。つとめがあるのであろう。」
「?なんのことですか?」
「たとえ滑り落ちても、信ぜよ。そなたの内と永遠の光は通じておる。ここへときっともどるのじゃ。よいな。」
「??」
サリの番になると、オーネンは慈しみ深く笑った。
「弾ける清水よ。炎を癒せ。」
そして、イナの肩をわかったというようにたたいた。
3人で顔を見合わせたが、それ以上聞ける雰囲気でもなかったので、おとなしくオーネン達についていった。
池の向こうは岩場になっていて、削られて造られた石段がある。そこを登り切ったところにまた入り口があった。
扉が開かれる。
さらにさらに上へと登る階段が続いていた。らせんになったその階段を昇りながら、サリがつぶやいた。
「司祭宮の塔を登っているんだね。」
リウもうなずいた。
司祭宮が遠くからでも分かるのは、うつくしく天に聳える塔があるからだ。
けれども『永遠の光』がまさかそこにあるなんて、思ってもいなかった。
時々ある踊り場の窓から、ペキニの街がうつくしく広がっているのが見渡せた。随分登って息が切れた頃、白く半透明な牛牙のような色の扉の前に立った。
少しも息が上がっていないオーネンが胸に手を当てて祈りの言葉を唱えると、その扉を押し開けた。
扉は羽根のように音もなく開いた。
円形のその部屋の中央に、円壇があり、グラスでカバーされたそこに金精鳥の卵くらいの大きさに光る金色の光の玉が浮いていた。
正確には縁には虹色がゆらめき、四方に金の光を放射しているそれは一言ではいい表せないものだった。
あたたかみもあるのにとても涼やかでもあり、時々透き通ってそこにないかのようにも見える。
前へという素振りをされ、みんなおずおずとその円壇をとり囲む。
オーネンはひとりひとりの瞳をじっと覗き込むように見回すと、
「これが『永遠の光』だ。天から灯されておる。ペキニ創造1万3千年の歴史の始まりからここにずっとこうして灯り続けている。なぜだかわかるか?」
物音ひとつ立たない部屋の中で、15人の瞳に力がこもった。
「ここは兄の民の末裔が治めた街であるからだ。兄の民を知っているな?」
みなうなずく。
「ここは元々弟の土地だった。そこにひとにぎりの兄の民がやってきて1万3千年かけて争いあう弟たちを融和する方へと導いていった。わたしたちはその兄弟の血が混じったものだ。さあ、聞こう。兄の民とはそもそもどういう民か?」
オーネンはサリの肩にその大きな手のひらを静かに置いた。
サリはほんのり上気した顔で瞳を輝かせて言った。
「万物の調和を保つ責任があると思っている誇り高く謙虚な民です。」
「そうだな。ではその朴訥な民の兄弟である弟の民はどういう民か?」
イナが答える。
「自分の利益のためなら戦さも破壊も厭わない強欲さのある民です。」
「そうだった。兄が来るまでは。今はどうだね?」
「ずいぶん強欲は薄まっては来ていますが、まだまだくすぶっています。」
「ハハハハ。よろしい。もうすぐ1万3千年目の夏至祭だ。あと半年もすれば地滑りが起こる。よくお聞き。」
みなの目に永遠の光が宿る。
「兄になり切れない者はその時滑り落ちるだろう。けれども忘れるな。落ちた者こそが兄となるのだ。ともに落ちた弟を支えよ。そして兄のくにへと到れ。そのために落ちるのだ。よいか?」
みなの顔を見渡して、最後にオーネンはリウをひたと見た。なんとも言えない深い瞳を投げかけて。
階段を下りながら、リウは考えていた。
(地滑りってなんのことだ?オレは滑るのか?)
いつもは恐い者知らずのリウなのに、どうしてもオーネンに聞けなかった。
答えられることが恐かった。
サリが言った。
「きれいだったねえ。永遠の光。ぼく、忘れられないよ。」
イナも言った。
「ああ、はかなげでもあるけど、あれが1万3千年も灯り続けたなんて、奇跡だね。」
案内してくれた司祭が答える。
「あの光を灯し続けるのには、人の想いも関係している。消えかかりそうなあの光を守ってきたのは兄の民のこころなのだ。」
「兄の民のこころ?」
「そう。天から絶えまなくそそがれる髄気に人の想いが灯って目に見える光となった。我々が守りたいこころがそこに灯っているのだ。だからつまり、『永遠の光』を守るというのは・・・。」
「調和のこころを守るってことですか?」
サリがはずんだ声できいた。
司祭は小さなサリを振り返り、にっこりとうなずいた。
司祭宮を出ると、真昼の光がまぶしく照りつけていた。ここでの授業は昼までで、ここの授業がある日は午後は何もない。
リウはいつになく無口になり、ふたりと別れて反対方向に歩き出した。
(たとえ滑り落ちても、永遠の光とつながっている?それっていったい・・・。)
思いにふけって歩いていたら、目の前に人影が現れたのに気がつかなかった。
その相手の胸とまともにぶつかった。
「どこに目、つけてんだよ。」
聞き覚えのある声にはっとした。
「リサイ!」
隣町の札付きのリサイとその仲間だった。
「今日はいつものチビっ子とやさ男は抜きか?」
リウはその言葉を無視して行こうとした。 リサイはその肩をつかんで自分に向けようとした。
リウの拳が飛んで、リサイがのけぞったのと、リウの身体がふっと沈んで脱兎のごとく駆け出したのとが同時だった。リサイの仲間が止めるスキもなかった。
たばねていた紅い髪がほどけてひるがえった。誰も追いつけないリウの足は、まるで一陣の紅い風を巻き起こすようだった。
駆けて、駆けて、駆けて、牧を越えて川を飛び、森へと走った。
もう、リサイ達から逃げているのではなかった。突き上げる衝動が、リウを止めなかった。
イスキニの森の奥深く、昼でも光はちらほらとこぼれる程度のしんとしたそこまできて、やっとリウは肩で息をしながらゆっくりと立ち止まった。
大きく息をはずませながら、顔にかかる紅い髪を気にもせず、ただ、立ち尽くしている。
リウには分からない。なぜ自分の頬に熱いものが伝っているのか。
「うっうっうっ・・えっえっ・・」
誰にいじめられても、しかられても、1度も泣いたことはなかった。泣く前に手が出ていた。
「ちくしょう!オレはなんで泣いてるんだ!」
そうつぶやいて、小さな泉の縁にしゃがみこんで、そしてその清水に手を浸した。
顔を洗った。
リウはなにかあるとここへ来て、顔を洗う。
けれどもその時リウは、いつもと違う何かの視線を感じて、冷たい清水が顔から滴ったまま拭うことを忘れた。
(はっ!)
泉の中にふたつの瞳がある。
瞬間的にリウは飛び退いた。
だが同時になんというか言葉ではない何かがリウをとらえた。
[なんで泣く?]
「誰だ!」
[いつもは泣かない。どうした?]
「どこにいる!何者だ!」
[気にするな。ここにいる。いつもだ。]
相手の間延びした返事に、リウは少し緊張の極からゆるみだしていた。
「何?・・・ここ?」
いつでも飛べるように筋肉は緊張させながら、さっき瞳を見た泉にそっとにじりよった。
目が合った。背が夕陽の色をした小さな魚が、リウの方をひたと見つめていた。
「お、お前か?」
魚のその目が少し笑ったように見えた。
「いつもそこにいるのか?」
[ああ]
「オレのこと、見てたのか?」
[ああ]
リウは力を抜いて、しゃがんだ。
「話ができるのか?」
[そうしたきゃな。ところでなんで泣く?]
「わからん。」
[ふるえているのか?]
「なに?」
[未来の予感にふるえているな?]
「なんだと?」
[自分の激しさにおののいている。]
「えっ・・。」
リウは虚をつかれたようにその夕陽を見つめた。
「どうしてそんなことを言う?」
[おまえのこころを見ているだけだ。]
「見えるのか?」
[おまえは見えないのか?」
「・・・。」
リウはこの魚が嫌いではないことを感じ出していた。
[わたしもおまえが嫌いじゃない。]
「ふふふふ。・・。名前はあるのか?」
[呼ぶ者がないからない。]
「じゃあ、呼ぼう。夕陽の色をしているから、ララだ。オレは・・」
[リウ。]
リウはそれをきいてにっこりと笑った。